荷風が余丁町に住んでいたときもヤマバトがよくやってきたそうだ。このような記述がある:
荷風塾 No9: "大正7年正月7日。山鳥飛び來たりて庭を歩む。毎年厳冬の頃に至るや山鳩必只一羽わが家の庭に来るなり。いつの頃より来り始めしにや。仏蘭西より帰り來たりし年の冬われは始めてわが母上の、今日はかの山鳩一羽來りたればやがて雪になるべしかの山鳩来るに日には毎年必雪降り出すなりと語らるるを聞きしことあり。されば十年に近き月日を経たり。毎年來たりてとまるべき樹も大方定まりたり。三年前入江子爵に売却せし門内の地所いと広かりし頃には椋の大木にとまりて人無き折を窺ひ地上に下り來たりて餌をあさりぬ。その後は今の入江家との地境になりし檜の植え込み深き間にひそみ庭に下り來たりて散り敷く落ち葉を踏み歩むなり。此の鳩そもそもいづこより飛び来れるや。果たして十年前の鳩なるや。或いは其の形のみ同じくして異なれるものなるや知るよしもなし。されどわれはこの鳥の来るを見れば、殊更にさびしき今の身の上、訳もなく唯なつかしき心地して、ある時は障子細目に引きあけ飽かず打ち眺めることもあり。ある時は暮れ方の寒き庭に下り立ちて米粒麺麭の屑など投げ与ふることあれど決して人に馴れず、わが姿を見るや忽ち羽音鋭く飛び去るなり。世の常の鳩には似ず其の性偏屈にて群れに離れ孤立することを好むものと覚えし。何ぞ我が生涯に似たるの甚だしきや。"
「世の常の鳩には似ず其の性偏屈にて群れに離れ孤立することを好むものと覚えし。何ぞ我が生涯に似たるの甚だしきや。」とはおかしい。今日やって来たのは、ひょとしたらこの時のヤマバトの子孫かも知れない。
1 件のコメント:
橋本様 初めまして。荷風の検索をしていて引きづられました。 断乗亭日乗いいですよね。 私もどういうわけかこの頃坂口安吾、徳川夢声、古川六波などという人達の日記を暇さえあれば読んでいます。どこから読んでも楽ですし。 戦前から戦後のあたりの描写たまりません。昔の東京、生活のリズムがあったのですね。 余丁町 今のビオセラクリニック辺りが 荷風の生活圏だったのですね。有名な話ですがここに住んで市ヶ谷刑場に送られていく人達を荷風は耐えられなかったと思います。 まして死刑場は目の前。 やはり隅田川を渡ってからの荷風が好きです。
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